2023年02月14日
4世紀に始まり7世紀まで造られ続け、年代ごとに形や大きさに特徴がある栃木の古墳!栃木県指定文化財の通称「長岡の百穴」を始め、四季折々の美しい姿の古墳など、県民に大切に守られている歴史的建造物をご紹介♪
宇都宮市
長岡百穴古墳
田川と鬼怒川との間にある宇都宮丘陵の南斜面を利用して、 横から穴を掘り込んで墓室とした横穴群であるので、 長岡横穴群とも言われているが、“長岡の百穴”とよばれ、親しまれている。(栃木県指定文化財)
実はまじまじと見たのは、初めてなんです。車で通りながら見たことしかなかったの(^_^;) そおっと覗いてみました。すご~く神聖な感じがいたしました!
宇都宮市
塚山古墳群
塚山古墳群は、塚山古墳を中心とした古墳群で、5世紀後半~6世紀初めにこの地域を支配した一族の墓と考えられています。西側に円墳1基、その南側に前方後円墳2基、合計4基残っています。(宇都宮市教育委員会作成パンフレットより引用)
宇都宮健康アプリのウォーキングコースでこちらの古墳がチェックポイントに組み込まれてました。当たり前のことですが、遠くから見ると小さく見えるのですぐそこだと思ってからがなかなか大変でした笑。案内板もあったのでお立ち寄りの際はぜひご一読ください^_^(画像が無くてすみません)
宇都宮市
笹塚古墳
上三川街道沿いののどかな田園風景の中、こんもりとした樹木が印象的な古墳です。散策入り口に石碑があり、そこから墳丘を歩いて登ることができ薬師堂までつながっています。上三川方面からさえぎるものがなく全形をご覧いただけます。
旧くからの友達と古墳行ってみたい!ということで行ってきました。駐車場が分からず一度は断念したものの、ランチしたkitchenSasazukaさんで情報を仕入れ、道路の空いてるスペースに車を停め登ってきました。想像していたより小ぢんまりとしていて、石碑から階段を登った先は地面がぐわーんと湾曲している感じでした。椎木などの広葉樹が多いのか、ドングリが其処かしこに落ちていて、その空間だけが森のような不思議な雰囲気でした。冬は葉が落ちてまた違う景色が楽しめそうです。インターパークから程近く。今度は遠くからの笹塚古墳も見てみたいな♪
宇都宮市
下栗大塚古墳
宇都宮市南部に点在する古墳のひとつ。県内でも早い時期に古墳文化が波及したと考えられている地域ですが、こちらは古墳時代後期のものと思われます。四方を水田に囲まれているためわかりやすく、歩いて墳頂まで登ることも可能です。
穴場スポットです。さくらが開花してから行こうと思っていたのですが待ちきれず行ってきました。この場所だけ異空間のような神秘的な場所です、今日は風もなくお天気でしたので気持ちよかったです!
宇都宮市
高お神社古墳
封土は西側の大半が旧東北本線のために削り取られてしまっているため、一見前方後円墳のように見えるが直径約30mの円墳である。この付近にあった大塚新田古墳からは、馬具などの貴重な埋蔵品が出土し、その一部は東京国立博物館に収蔵されている。
鳥居の前にある説明板によると、古墳の一部に(鉄道用として)掘削された跡があるとのことです。現在はこの古墳だけですが、かつては周辺に多数の古墳があり、“上大塚町”という地名に名残りをとどめているそうです。鉄道跡については、廃線マニアの私でも(笑)よくわかりませんでした。
宇都宮市
御蔵山古墳
塙田トンネルの上にあたる場所に位置しています。古墳のふもとには近くの古墳から遺物が出土したことを伝える石碑「古棺記(こかんき)」が、頂上には「雷神社(らいじんじゃ)」があります。
サーフさんの口コミを拝見して、ずっーと行って見たくて、本日やっと実行(^o^)本当にびっくり仰天でした。私も何故こんな短い距離なのに、トンネルを造ったんだろう.....と、思っていました。そう云う事だったんですね。感動と驚きでいっぱい。異空間に入り込んだ様な、タイムスリップした様な、現実じゃない様な、不思議な感覚に陥りました。上手く伝えられませんが、歴史の重み、深み、受け継がれてきた感謝の念、そしてもっともっと多くの栃ナビメンバーさんや子供さんのいらっしゃる親御さんにも、是非足を運んでいただきたい.....と、色々な感情が込み上げてきた次第です。
宇都宮市
三日月神社/三日月神社古墳
祭神の「月読命」は月の神様です。昔から1月3日には盛大にお祭りが行われていました。現在もご開帳し地元の方がお参りされています。基壇部には古墳がありますが、今はその形はほぼ消滅しています。
ここの場所の近所で、仕事をしていた時の事です。この周辺は平らな土地のはずなのに目前にあるコンビニの向こう側に何故か小山が?! 良く見る小山には木々と一緒に頂上に何かが建っています!あれは何?そこまでへ行ってみると頂には立派な神社社殿が有り、その荘厳さに感動したのを覚えています。ここは、頂きに神社を祀る『三日月神社古墳』と言う古墳だそうです(*^^*)。。。三日月神社古墳は帆立貝式の古墳ですが、前方部分が失われてしまっているのでまるで円墳の様で、それが遠方から小山に見えたようです。古墳時代の後期末までには築造されていたと推測されますが、調査が行われていないので詳細な資料が有りません。住宅地の中に忽然とある!とても存在感のある感動ものの古墳です。見学は比較的にしやすいのですが、駐車場等は特に有りません。見学をされる場合は、周囲の住民の方にご迷惑をかけないようにご配慮をお願いいたします。『三日月神社古墳』お勧めです( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
大田原市
侍塚古墳
侍塚古墳は、上侍塚古墳と下侍塚古墳の2基あり、いずれも原形をとどめ、墳丘にアカマツを生やした美しい古墳です。 写真は下侍塚古墳です。
数年前から、大田原市に向かう国道294号の途中、とても気になっていた「侍塚古墳」今回やっと「なす風土記の丘湯津上資料館」と合わせて訪れることができました。「上侍塚古墳」と「下侍塚古墳」の2基があり、考古学者の方が「日本で一番美しい古墳」と言っているそうです。江戸時代、水戸光圀公と地域住民によって、日本で最初の発掘調査が行われているそうで、もっともっとこの「侍塚古墳」の知名度が、上がって欲しいです。今回は、車で移動しましたが、次回は歩いて、ゆっくり見学したいと思っています。
芳賀町
亀の子塚古墳
五行川と鬼怒川に挟まれた南北に走る宝積寺台地の東端に築かれた前方後方墳です。前方部は後方部に対して高さが極めて低く、長い形状を示しています。横から眺めた形状があたかも首を伸ばした亀に似ていることから「亀の子塚古墳」と呼ばれています。
栃木県文化財の亀の子塚古墳を見に行きました。全長約56.3mの前方後方墳で前方部~くびれ部分まで参道となっていて後方部墳頂に行事神社が祀られています。参道は緩やかな道です。古墳は4世紀後半に造られたもので、行事神社も創建807年と歴史が古い神社です。社殿の屋根を長くとった造りに特徴があり、見るからに頑丈そうで新しくキレイな社殿です。境内には土俵があり祭礼日に相撲を奉納しているそうです。下2枚の写真は行事神社がある墳頂4.6mからの眺めで古墳全体と周囲を見回しました。古墳全体は壊されることなく当時のままに残されていて見映えがいい古墳です。
栃木市
荒宿B古墳群
【栃木市指定文化財】6基の円墳からなります。1978年、5号墳の発掘調査が行われました。古墳が造られたのは古墳時代後半(6世紀後半~7世紀後半、飛鳥時代の初め頃)。その時の出土品は、栃木市郷土参考館(栃木市倭町)に展示されています。
栃木市文化財の荒宿B古墳群を再訪しました。古墳は斜面の高い所から順に1号墳~6号墳まであり全て円墳です。古墳は全て垣根で囲まれていて小ぶりのものばかりで可愛らしいです。唯一ある5号墳の竪穴式石室は柵で囲まれています。長さ2m、幅60cmと、こちらも古墳同様小ぶりです。元々お墓である古墳群が墓地のある聖地公園に整備保存されていることは場所的にもピッタリと感じました。
栃木市
岩出古墳
皆川地区には、栃木市内の古墳の6割以上にあたる113基の円墳が残り、かつてはさらに多くの古墳が存在したことがわかっています。当墳は岩出古墳群20基のうちの1基。保存状態はよく、特徴的な玄門周りと奥壁の石積みが見られます。
栃木市文化財の岩出古墳を見に行きました。直径28メートル、高さ4.5メートルの円墳で石室がむき出しになっていて中に入れます。横穴式石室で、長さ2.6メートル、高さも1.5メートル近くあり幾つもの大きな石が天井から壁まで見事に組まれています。6世紀当時の建造物ですが、保存状態が良かったです。
栃木市
山王寺大枡塚古墳
5世紀初頭のものと思われる前方後方墳です。前方部を西に向けスマートな形ですが、前方部一部は墓地として削平され、後方部の南側も半壊状態なのが現状です。司祭者的性格を脱して地域支配者に成長していく過程を読み取ることができます。
栃木市文化財で全長96m、高さ7.4mある前方後円墳です。古墳のあがりっぷちでオスのキジを見かけました。私が気が付いた瞬間ササっと古墳の中に逃げ込んで行きました。前回来た時に墳頂に上がろうとして草深く断念しましたが今回も草深く断念しました。草が少ない冬に訪れるべきですね。近くで見ると小高い山のようで三方向の角度で違った表情が窺え勇ましい印象の古墳です。裾には黄色や紫色の花が咲き誇り古墳に華やかさを添えていました。
栃木市
赤麻古墳
古墳時代後期、栃木市藤原町を代表する古墳です。南に開口している石室は江戸時代初期に掘りおこされ、その際金銅製太刀・耳飾り・管玉・切子玉・鏡板・辻金具などが出土しています。
栃木市文化財の赤麻古墳を見に行きました。巨大まぐさ石が崩落していました。地元の人に伺ったところ東日本大震災の時に落ちたそうです。石室入口にネットがかかっているだけで中に入ることはできそうです。地元の人が危ないから入らないほうが良いというので自重しました。奥壁に記号が書いてあるそうです。小さな古墳ですが出土遺物は多数有り藤岡歴史民俗資料館に展示されています。
下野市
丸塚古墳
埴輪を伴わず、二段に築成された大型円墳であることから7世紀前半の築造と考えられます。玄門は一枚石の中心をくり抜いて造られており、優れた石材の加工技術がうかがえます。平成18年の発掘調査で、石室床面付近より多数のガラス小玉が出土しました。
7世紀はじめに造られたといわれる大型の円墳です。横穴式の石室があります。駐車場はないので、近くの道路の安全な場所へ停めるか、天平の丘公園から歩いて(約1.5km)行くことをオススメします。丸塚古墳の北から南にかけては、吾妻古墳・琵琶塚古墳などの大きなものから、比較的小さな古墳まで、県内でも特に古墳が集中している地域だと思います。マニアの方には見逃せないスポットですね。
下野市
国分寺愛宕塚古墳
西南に面した前方後円墳で、基壇の上に墳丘を築き、基壇の裾部に周溝を巡らしています。墳丘南側のくびれ部分には、愛宕神社が祀られているため一部が削られていますが、概して保存のよい古墳です。築造期は、6世紀末~7世紀前半と推定されます。
栃木県文化財の愛宕塚古墳を見に行きました。愛宕神社は火の神様が祀られています。二段築成の前方後円墳で墳丘は愛宕神社の社叢のなかにあります。くびれ部分の祠には七福神のうち二人の神様が祀られています。神社の前方部、後円部には多数の小さな祠があり、神秘さがより一層体に感じられました。墳丘の高さ5メートルあるので古墳全体を見回すことができました。
下野市
甲塚古墳
全長が約85mの帆立貝形前方後円墳で、墳丘第一段目に幅広い平坦部(基壇)をもち、前方部を南に向けています。発掘調査により馬や人物、数多くの埴輪や土器が出土しました。これらの出土した遺物から、この古墳は6世紀後半に造られたと考えらます。
天平の丘公園の西、県道18号沿いにある前方後円墳です。東側(下野国分寺跡)から見ると、その大きさが実感できると思います。詳しい説明板もそちらにあります。下野国分寺跡とあわせて見学することをオススメします。
壬生町
車塚古墳
墳丘は三段に造られ、墳丘第一段を幅広く造る特徴が見られます。墳丘の周囲には完全な形で深く掘られた堀と土塁(周堤)がめぐり、更に近年、周堤の外側から二重目の堀が確認され、古墳の総全長は130mに達する大円墳であることが新たに判明しました。
街道沿いの古墳案内の看板に気づいてから数年が経過。時間もあり初めて伺いました。看板を曲がり直進すると大きな(巨大な)古墳が目に入りました。大きな樹木・草花が生い茂ような環境ですが綺麗に整備されており見学も容易です(運動靴推奨)古墳の頂上からの眺めは迫力満点。古墳そばには民家もございますが日が落ちると寂しい場所なので明るい時間のご訪問がおすすめです(^-^)
壬生町
吾妻古墳
この地域は、古墳時代における下毛野(しもつけ)の首長の墳墓が集中する場所で、当古墳もその規模から6世紀末から7世紀初頭の首長墓と推定されます。出土品は円筒埴輪の破片など多数。栃木県地方における古墳時代後期の代表的古墳です。
さすが県内最大の前方後円墳だけあって大迫力でした。城の堀のように深い周溝、平で幅広い基壇、山のように高い墳丘が一体化していて驚かせてくれました。墳丘の上からは古墳の全体像が見られるのと同時に、古墳に埋葬された方は、どのような人物だったのかを考えさせられました。
壬生町
茶臼山古墳
黒川左岸の羽生田・壬生地区には、国・県史跡に指定された大型前方後円墳や円墳が多く、茶臼山古墳もその一つで、丘陵の先端部につくられた2段築成の前方後円墳です。築造は6世紀後半と思われ、長年の風雪に耐え良好な状態で現在に至っています。
国指定史跡の茶臼山古墳を見に行きました。二段築成の前方後円墳で山道を少し上がった所にあります。堀のような周溝、土塁のような周堤まで完全に残っていて保存状態が最高です。墳丘の上に上がってみると前方部と後方部の間にスッキリとしたクビレがありスマートな形をしています。墳丘の上から古墳全体を眺めていると城の天守閣にいるような錯覚に襲われました。
壬生町
みぶ牛塚古墳
墳丘から須器の甕の一部が確認されており埴輪に代わり大型の甕が並べられた6世紀末~7世紀初頭の古墳と考えられています。平成26年度から2年に渡り発掘調査がされ墳丘の全長などの情報が更新されました。詳細は歴史民俗資料館でもご確認いただけます。
車塚古墳の道路を挟んだ東側に位置します。巨大な車塚古墳に比べると小ぶりで可愛らしいイメージで勾配もゆるやか。交通量の多い幹線道路からすぐの場所に静かに佇む古墳を前になんとも不思議な気持ちになります。古墳の詳細は、壬生城址公園内にある壬生町立歴史民俗資料館で学べるようなので城址公園へ伺う機会に合わせて立ち寄りたいと思います(*^_^*)
壬生町
みぶ愛宕塚古墳
牛塚古墳、車塚古墳とともに壬生町中央部を南流する黒川東岸の台地上に築かれた6世紀後半代の古墳です。平成29年度から2年に渡り行われた発掘調査で2重目の周溝や葺石の存在が確認されました。詳細は壬生町歴史民俗資料館でもご確認いただけます。
6世紀につくられたと推定されている古墳(前方後円墳)です。頂上に“愛宕神社“がまつられています。現地の案内板には、全体の測量図や現在地などがわかりやすく描かれているので、これと見比べれば、古墳の大きさを実感できると思います。
壬生町
みぶ長塚古墳
6世後半に黒川東岸の台地上に築かれた全長約82mの古墳です。発掘調査から、墳丘の表面は葺石に覆われていたことが分かっています。隣接する畑の下からは幅6m深さ1.5mの周溝も確認されました。詳細は壬生町歴史民俗資料館でもご確認いただけます。
栃木県文化財の長塚古墳を見に行きました。全長77mあり前方部、後円部ともに高さ約6mです。横から見ると墳丘中央のクビレ付近に記念石碑がありました。墳頂からの眺めでは豊かな農地が広がっており遮る物が無いため視界は良好です。
上三川町
愛宕神社古墳
截頭円錐形状(頂上を平に切った円錐形)になった円墳です。6世紀に築造され、墳丘の直径約42m、高さ約5m。平らな頂上部は直径約10mで、中央には愛宕神社がまつられており近隣の方に親しまれています。毎年子ども相撲も開催されています。
磯山緑地公園からすぐ近くのところにあり、木に囲まれ、夏の暑さをしばし忘れることのできる素敵な所でした。子供相撲も開催されるようで土俵がありました。
上三川町
浅間神社古墳
神主台地の最高地(標高約80m)の東縁部を占める円墳。参道が南方から直線上に延び、墳丘部には石段が設けられ墳丘部に至ります。本墳東側の墳丘裾には墳頂下約6mの周湟の一部を削って田土神様が祀られています。
上三川町文化財の浅間神社古墳を見に行きました。高さ約6メートルの円墳で森に囲まれています。墳丘上は神社が祀られている以外に敷地に余裕があります。静かな場所で心が落ち着きました。
上三川町
上神主狐塚古墳
平成5(1993)年の調査の結果、全長40.3mの帆立貝式前方後円墳であることが確認されました。形象埴輪や人面の表現ある円筒埴輪などが出土。また周辺に展開する神主古墳群の主墳の内の一基とみられ、築造時期は6世紀中頃と考えられます。
上三川町文化財の上神主狐塚古墳を見に行きました。林道沿いにあり笹で覆われています。帆立貝式古墳で前方部が消滅していると書かれています。眺めてみると楕円形の円墳に見えました。墳丘上の中心に大きな杉がある以外は細木がまばらにあるだけで視界は良好です。周囲には民家もなく鳥の囀りが響き渡っていました。
上三川町
高お神社古墳
頂上部に高お神社、両側中腹に霊府神社がまつられています。 変形が著しく前方後方墳か帆立貝式古墳か判断が困難。古墳時代前期~中期に作られたと推定されます。全長約33mで帆立貝式古墳とみれば円丘径約25m、高さ約3m余の西向きの古墳です。
上三川町文化財の高お神社古墳を見に行きました。住宅地に囲まれた木がまばらで明るい場所にあります。形が定まっていない古墳で墳丘上の高い所に高お神社、低い所に霊符神社が祀られていて、古墳より建物でギュウギュウ詰めの状態です。地元の方々によって管理されているみたいで草など生えていなく綺麗な古墳です。また敷地内の小屋に上三川町文化財の天棚が格納されていました。
小山市
琵琶塚古墳
周辺には、摩利支天塚古墳・甲塚古墳・愛宕塚古墳・山王塚古墳・丸塚古墳・吾妻古墳・下野国分寺跡・下野国分尼寺跡・下野国庁跡・しもつけ風土記の丘資料館と古代遺跡めぐりのできるスポットがたくさんあります。古代下毛野国の文化を感じてみてください♪
下野市の天平の丘公園から農道を通って小山市の古墳まで歩いて行ける距離なので、足を伸ばして愛猫とお散歩してきました。前倒しに来た時は木が沢山あって森の様になってましたが伐採されて古墳の形が良くわかる様になってました!階段も登りやすくなってました!古墳から眺める男体山や筑波山が綺麗でしたよー!菜の花も終わりだったけどまだ綺麗でした。
小山市
摩利支天塚古墳
摩利支天塚古墳をはじめ周辺には、琵琶塚古墳・甲塚古墳・愛宕塚古墳・山王塚古墳・丸塚古墳・吾妻古墳・下野国分寺跡・下野国分尼寺跡・下野国庁跡・しもつけ風土記の丘資料館と遺跡めぐりができるスポットがあります。下毛野国の文化を感じてみてください♪
国史跡である古墳の後円部墳頂にある小山市文化財の摩利支天社を訪れました。堂々とした構えの建物には摩利支天が祀られており台林寺に附属し古墳の名前の由来となっております。境内には燈籠が対にあるのは当たり前ですが石祠も一緒に並んで対にあり珍しい風景であります。薪が大量に用意されており冬の備えが万全でした。発掘調査が行われているらしく広範囲にブルーシートが掛けられておりました。栃木県3番目の規模を誇る前方後円墳ですから新たなを発見が今から楽しみです。
小山市
毘沙門山古墳
思川西岸、巴波川に挟まれた寒川地区には、毘沙門山古墳を筆頭に茶臼塚古墳・鶴巻山古墳・三味線塚古墳などが点在し寒川古墳群を形成。墳丘裾部が削られていますが、帆立貝式前方後円墳と考えられ周湟からの出土品より築造は5世紀末~6世紀と推定されます。
栃木県文化財の全長41mの古墳は田んぼに水が入った為、陸の孤島のような雰囲気になっていました。墳丘に上がる為の階段が道路側と田んぼ側と二か所に設置してあり有難いです。墳頂にはご覧のように何本かの木が生い茂り祠が祀られています。祠も日陰になっていて涼しそうに見えました。かつてはココも含め12基あった寒川古墳群は現在はココだけとなり、消滅した古墳達の気持ちを一身に背負っている古墳です。
小山市
愛宕塚古墳
東側に東西に配列された方墳や円墳の形状をした高塚群がありますが、1975年の調査で近世の供養塚とわかり、本墳も供養塚との指摘もあります。一名「百百塚(ももづか・どどづか)」が訛って、かつてのこの辺りの町名「土塔」となったといわれています。
夕日に照らされた桜が綺麗で思わずパチリ。人気のない愛宕塚古墳の小道は静かで厳かな雰囲気が有ります。近くには大通りも有り交通量も多いですが、裏道に入ると静かで雰囲気が変わります。
小山市
千駄塚古墳
県指定記念物(史跡)。築造が6世紀末~7世紀初めではないかと思われる思川東岸の段丘上にある古墳。県内でも有数の規模を誇る円墳で、墳頂に浅間神社を祀り、別名「浅間山古墳」とも称されています。
銀杏の木が見事でした!夕方の陽に照らされた葉と光が美しく、千駄塚古墳の入り口を彩っていました。イノシシ出没注意の看板が付近にあります。
小山市
飯塚35号墳
6世紀後半に築造の前方後円墳で、飯塚古墳群内の古墳の中でも比較的規模が大きく、削られてはいるが墳丘が現存する数少ないものであり、近接する国指定史跡の琵琶塚古墳・摩利支天塚古墳との関連においても貴重な古墳です。
前方後円墳とのことですが、周囲が道路や宅地になっていて墳墓が削りとられているので、一見すると古墳だと判らないかもしれません。それでも、高さ5m弱の頂上へ上れば、古墳の雰囲気が感じられました。訪問当日は、古墳脇の道路沿いの桜(思川桜)が見ごろでした。
小山市
篠塚稲荷神社/篠塚稲荷神社塚古墳
栃木田園風景百選にも選ばれたのどかな田園地帯に神社があります。初午祭では、飾り馬が地域を巡行、流鏑馬、太々神楽が奉納されます。古墳は、大本地内に分布する大本古墳群では最古で最大、6世紀前半の琵琶塚古墳後の首長墳ともいうべき中規模の古墳です。
先日〚コキア小山〛の下見に伺った際、偶然、見つけた神社です。規則的に並んだ《赤灯籠》が、目に留まりました。その日は、都合で、伺えなかったので、本日、満を持して、伺わせていただくことにしました。夕日に照らされた《赤灯籠》を、キレイに、写真に収めることができ、非常に、嬉しいデス(⋈◍>◡<◍)。✧♡ 初午祭(3月)には、≪飾り馬の御巡幸≫や≪流鏑馬≫などが、行われるそうです。ぜひ、拝見してみたいです。
小山市
外城2号墳
小山市総合公園東側の思川段丘上に分布している外城古墳群の中にある円墳です。丘は直径約20m・高さ約1m、築造は7世紀前半または中ごろと推定されます。古墳内部は墓道・石室がほぼ完全な形で残っています。
小山総合公園の周りを、散策している際、たまたま見つけました!!! なかなか味のあるイイ風景デス(⋈◍>◡<◍)。✧♡
足利市
永宝寺古墳
永宝寺本堂の北側にあり、前方部を西に向けた2段築成の前方後円墳です。後円部中央の埋蔵施設は横穴式石室。出土遺物などから6世紀後半にこの周辺を支配した首長とその家族の墓と推定されます。
足利市文化財の永宝寺古墳を見に行きました。全長約66m、高さ約6mの前方後円墳で前方部は竹や木がビッシリと生えています。後円部はキレイに整備されていて屋根付きの横穴式石室が施錠されてあります。全長約6.7mの横穴式石室を隙間から覗いてみると、割石積みで大きな石が互い違いに積まれていました。前と後ろで見方が全く別物に見える古墳で実に興味深いです。
※掲載内容は記事作成時の情報です。