板橋城跡付 板橋将監の塔 - 日光市の遺跡・史跡・城跡・城址|栃ナビ!
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板橋城跡付 板橋将監の塔

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遺跡・史跡城跡・城址

【市指定史跡】戦国末の板橋城跡と城主・板橋将監親棟の供養塔

戦国時代末期、板橋将監親棟は板橋城により一帯に勢力を振るうも、天正18年(1590)秀吉が北条氏を滅ぼすとともに城を去り、城館近くのこの地に常安寺を建て出家。塔は親棟死後はるか後に建てられたもの。塔裏面に「当山前城主板橋将監親棟塔」とある。

上板橋集落センターの駐車場を…

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小田原北条氏に仕えた板橋将監親棟(しょうげんちかむね) 武蔵国(東京都)板橋領主の出。小田原北条氏の被官であったが、北条氏と鹿沼城主壬生氏との同盟関係によって、壬生氏を援助するためにこの地に来て、板橋城によってこの一帯に勢力を振るう。
板橋将監親棟から常安入道へ 天正18年(1590)豊臣秀吉が北条氏を滅ぼすとともに、その勢力を失い秀吉と家康に恭順し、この地に常安寺を建て出家、常安入道と称した。文禄3年(1594)没。この地は、寺名をとり小字名を常安寺という。
戦国期の典型的な山城 板橋城跡 永正年間(1504~21)宇都宮氏一族が築城、天文年間(1532~55)板橋氏が拠点とし、後に徳川氏一族松平一成・成重が城主となり、日光東照宮創建と共に廃城。眼下には今市扇状地も展望できる。

※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2022年6月28日]

新着クチコミ

クチコミ:1
  • maffinman

    maffinmanさん

    総合レベル
    197

    城山の山頂にある板橋城跡(日光市文化財)に向う為に上板橋集落センターの駐車場に止めました。何台も車が置かれていたので目的は同じのようです。元は板橋陣屋跡です。50m程先に登山道があり案内板があります。先ずはコレより先にある城主であった板橋将監の塔(日光市文化財)に行きました。供養塔で将監が亡くなってからはるか後に建てられたそうです。将監を偲ぶ人々によって建てられたんだろうなあと思いました。戻って登山道を進みます。ハイキングコースの→に進むので道を間違うことは御座いません。比高150mあるので結構登りがキツイです。道中には植栽されて日が浅い落葉広葉樹17種1000本の木の看板があり周囲に幼木が並んでおりました。自治会の皆さん、子供達、ハイカーの人達によって植樹されたとのことです。先々が楽しみな樹木達です。少し上がった先からの眺望は良く車を止めた集落センターを含めた近隣が小さく見えました。そこから上に進むと鳥居が見えてきました。愛宕神社と羽黒山神社が祀られております。道中の無事をお願いし先に進みました。東屋がある頂上直前の堀切と竪堀が見事に遺っております。標高443.3mの頂上に28分かけて到達しました。板橋城といっても砦のような場所だったそうです。スグ下に石垣が遺されております。草叢の中にあるので何処だか分からず他のハイカーさんに教えて頂きました。コレダケの大きさの物をどうやって運んだのかトニカク大変だったろうと感じました。しょっちょう来られているハイカーさんによると下った所にある畳石から切り出したんではないかとのお話でした。興味があるのでソチラ方面から下山しました。畳石は六畳程ある大きな岩のような厚みのある平べったい石です。確かに切り出したような跡が遺されておりました。さらに下に進むと天狗岩があります。確かに天狗にソックリです。側に温度計があり13℃を表示しておりました。道中20人以上のハイカーさんと出会い挨拶を交わしました。登るのが毎日の日課の御夫婦もいらっしゃいました。実に良く整備され景色も含め気に入ったので季節が変わった時期にマタ訪れたいと思います。 (訪問:2022/05/02)

    掲載:2022/07/04
    "ぐッ"ときた! 28

※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。

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基本情報

住所 日光市板橋 地図を印刷
交通 ※地図を参照ください
日光市文化財課
0288-25-3200 0288-25-3200
設備 駐車場
駐車場 上板橋集落センターの駐車場をご利用ください。

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