小山市の城跡・城址
【国指定史跡】鎌倉期以来下野守護職を務めた小山氏の主要居城跡の1つ
現在の茨城県と栃木県の県境の小山市中久喜にあった平安時代末期から戦国時代にかけての城です。別名は岩壺城です。主な城主は小山氏、結城晴朝。(廃城は1601年)
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中久喜城の歴史 | 築年数は不明ですが、十四世紀後半の小山義政の乱のときに義政が鎌倉府と戦うための根拠地とした城の1つ「岩壺城」ではないかといわれています。慶長6年(1601)に結城氏が越前に転封になり廃城となりました。 |
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城跡の現状 | 城跡の範囲は東西400m、南北450mで、城はJR水戸線により南北に分断されています。住宅地と畑の中にあるのでわかりづらい場所ですが案内の看板があります。 |
国指定史跡 | 1994年 祇園城跡、鷲城跡とともに「小山氏城跡」として、国の史跡に指定されました。 |
新着クチコミ
クチコミ:2件
みんなの声でわかる、スポットの特長
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- 敷地2
- 小山駅2
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城跡の敷地が鉄道(JR水戸線)の線路で南北に分断されています。北側に石碑と説明板があり、南側へは(現地の矢印表示にしたがって数百m東にある)踏切を渡ると行くことができます。土塁や空堀などの遺構が中世の城の雰囲気を感じさせてくれます。駐車場がないため、小山駅の一つ先の小田林駅から歩いて(約25分)行きました。見学後、城跡から県道264号(旧 国道50号)沿いを歩き小山駅まで戻りました(約60分)が、適度なウォーキングにより心地よい疲労感(笑)を得ることができました。 (訪問:2024/12/14)
掲載:2024/12/17"ぐッ"ときた! 29人 -
小山市民ながら初めて訪れました。細い道を抜けていくのでわかりづらいですが、一本道を進むと案内板が出てきます。水戸線で分断されてますが敷地が大きかったことがうかがえます。城跡の中を電車が走るのも不思議な感じがしました。 (訪問:2023/06/04)
掲載:2023/08/04"ぐッ"ときた! 19人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。