下野市の神社・仏閣
徳川将軍家日光社参御昼食所。関東八十八ヶ所霊場第二十番札所。
建久7年(1196年)、関東の豪族新田義兼公により新田一族の祈願所として建立。真言宗の古刹。江戸時代、将軍家が日光社参の際の昼食場所として定められ、将軍家と深い関係を持つに至る。関東八十八ヶ所霊場第二十番札所として遠方からの参拝者も多い。
受付:9:00~16:30
有(境内東側と南側の2か所)
おすすめ
【厄除の観音様】本尊十一面観世音菩薩(木像) | 開山以来京都上の醍醐寺より請来され(台座に明記)、身代わり・厄除けの観音様として信者を集めています。 |
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【安産子育ての観音様】下野西国二十三番札所 | 千手観音堂内に安置されている宮殿には、秘仏として弘法大師御作の千手観世音菩薩・延命地蔵菩薩・毘沙門天が安置されており、安産子育ての観音様として信仰されています。 |
【行事】 | 毎月1日の多宝会(写経・読経)、毎月17日の千手観音御供養 安産・子育ての護摩法要をはじめ、除夜の鐘や新年の大護摩祈祷、2月の節分祭には境内が多くの人で賑わいます。 |
※表示価格は更新時点の税込価格となっております。
[更新:2020年6月19日]
新着クチコミ
みんなの声でわかる、スポットの特長
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江戸時代に、徳川将軍家の日光社参の際の昼食場所となったというお寺です。本堂のほかに観音堂・鐘楼など、見ごたえのある建築物があります。街なかの国道に面したお寺ですが、道路から奥まったところにある境内は静かで、厳かな雰囲気の中で参詣させていただきました。 (訪問:2020/12/22)
掲載:2020/12/28"ぐッ"ときた! 25人 -
旧4号線を走っていると、立派な山門が目に入ります。約800年前、下野の豪族新田義兼公の開基により新田一族の祈願所として建立されたという古刹で、境内も広く当時から七堂伽藍をであったそうです。山門をくぐると、左手に見える朱色の建物が、千手観音堂弘法大師(空海)作の千手観音菩薩が安置されている「千手観音堂」(写真1枚目右下)で、彫り込まれた彫刻も見事です。その右手には立派な袴腰付の「鐘楼」(写真1枚目左下)、そして弘法大師像(写真2枚目)、正面の本堂(写真1枚目右上)へと続きます。扁額も美しくご本尊(十一面観世音菩薩)が収められた立派なお堂です。ご住職様からお話をお聞きしましたら、「3代将軍家光から御朱印20石を賜り、それ以降住職は毎年正月、江戸城に年始参内を許され、その際は大大名と同じ待遇を受けた」そうで、日光社参の将軍家がこちらを昼食所として定めていたことからも、将軍家との深い関係がわかります。また住職様のお話によれば、「安産子育ての観音様として千手観音堂へお参りされる方も多い」とのことでした。歴史の重みを感じることができ、心癒される空間です…(^▽^)/ (訪問:2020/05/26)
掲載:2020/08/12"ぐッ"ときた! 19人 -
徳川将軍家の御昼食所と定められ将軍家と深い関係であった名刹に下野市名木30選のカヤを見に行きました。山門を潜ると観音堂があり中には弘法大師作の千手観世音菩薩が安置されています。向拝正面に龍、木鼻に象など細部に施された彫刻が朱色のお堂を引き立てていました。右側には漆黒の袴腰付鐘楼がありスマートでウエストが引き締まっているように見えました。樹齢約2~300年、樹高約10mのカヤは歴代住職の墓所そばにあります。高さの割には幹周りが約3.4mと太くガッシリとした印象です。古木ですが樹勢が盛んで枝葉の密度が高く元気一杯に見えました。 (訪問:2020/04/04)
掲載:2020/06/21"ぐッ"ときた! 22人
※上記のクチコミは訪問日当時の情報であるため、実際と異なる場合がございますのでご了承ください。
基本情報
住所 | 下野市小金井1-26-2 地図を印刷 |
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交通 | JR小金井駅より車で約5分(約850m) |
TEL | 0285-44-3216 0285-44-3216 |
営業時間 |
受付:9:00~16:30 |
設備 | 駐車場 |
駐車場 | 有(境内東側と南側の2か所) |
リンク |
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