お寺から離れた吉水町の墓地に赤尾清三郎の墓があります(佐野市文化財)。幕府の儒官である古賀侗庵に学び約20年間に渡り田沼村大関(佐野市)で塾を開き数百人を教えました。しかし1867年に倒幕工作をし戦の準備を整えましたが、一か月後に幕府軍と戦い敗北し参加した長男が捕まったことにより自首しコノ地付近で処刑された人です。墓石には銘文などがビッシリと刻まれており如何に地域に貢献された人だということが伝わってまいりました。武士の時代が終焉し現代へと橋渡しをしてくれたのは赤尾先生などの倒幕運動の力によるものであります。志半ばに亡くなられてしまいさぞかし無念であったでしょうが、その後僅か一年程で新たな日本の幕開けを迎えたことにより草場の陰できっと喜んでいらしたであろうと思いました。