maffinmanさんから下野市への投稿クチコミ | 栃ナビ!
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言い伝えでは配流された天皇の女官2人が天皇の御陵から戴いた分骨を銅製の舎利塔に納め当地の西光寺に安置し供養につとめました。時は流れ西光寺は廃寺になり村人達は舎利塔を御神体に祀り孝謙天皇神社と改めたというお話です。神社の裏手に回ると立派な書体の石碑があります。この下に舎利塔が安置されているのかも知れません。女官2人の墓は少し離れた南に仲良く向き合うようにあり上大領東原古墳と称されております。御笹塚も御志塚も削平されておりますが元々は円墳で直径37mの規模だったそうです。どちらも祠が祀られておりました。また御笹塚では五鈴鏡、勾玉5、管玉32、小玉、馬具片、人骨等も出土しているそうです。場所はすぐにわかったのですが試しに何人かの地元の人に伺うと皆さんご存じで誇らしげに話している印象を受けました。神社も古墳も奈良時代のロマンに触れられる場所です。(孝謙天皇神社)

  • 訪問日:2023.07.02

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