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令和の大修理


国指定重要文化財・国指定名勝
〒324-0012
栃木県大田原市南金丸1628
電話:0287-22-3281
携帯:090-3223-1183
かつてから「八幡さん」と親しみ呼ばれ、皆が様々な願いを胸に訪れた地、那須神社
那須神社
国指定重要文化財・国指定名勝

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令和の大修理

国指定重要文化財・国指定名勝

国指定重要文化財(建造物)
那須神社 本殿・楼門・附銅棟札(本殿附)・石燈籠・手水舟 ▼詳しく見る

平成26年1月27日指定
所在地 大田原市南金丸1628
所有者 那須神社
員数 

  • 本殿(ほんでん) 1棟
  • 楼門(ろうもん) 1棟
  • 銅棟札(どうむなふだ) 1枚
  • 石燈籠(いしどうろう) 2基
  • 手水舟(ちょうずぶね) 1基

製作年代 江戸時代
構造形式

  • 本殿 三間社流造(さんげんしゃながれづくり) 瓦棒銅板葺
  • 楼門 三間一戸楼門 銅板葺

大きさ

  • 銅棟札 長さ77.0センチメートル 幅22.2センチメートル 厚さ0.3センチメートル
  • 石燈籠 基礎から宝珠までの高さ約290センチメートル 竿直径約45センチメートル
  • 手水舟 高さ77センチメートル 幅157センチメートル 奥行90センチメートル

 那須神社は、仁徳(にんとく)天皇の御代の創立、延暦年間(782から806)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神(おうじん)天皇を勧請して八幡宮としたといわれています。中世を通じて那須氏が篤く崇敬し、その後は黒羽城主大関氏の氏神としてあがめられました。
 本殿は天正5年(1577)の建造と伝えられ、大関美作守高増(みまさかのかみたかます)より奉納された同年の年紀のある鰐口(わにぐち)(県指定文化財)があります。しかし、附の銅板銘札の銘文に、寛永18年(1641)夏に大関土佐守高増(とさのかみたかます)が施主となって八幡宮を建立したことや、大工名・鍛冶名も記されていること、さらに建築様式の比較から、寛永の造営は新築であることが判明しました。
 外部の塗装彩色は剥落や退色が進んでいますが、柱や長押(なげし)・桁(けた)・虹梁(こうりょう)などに施された様々な繫文様(つなぎもんよう)の彩色や金箔押(きんぱくおし)はいずれも当初のもので、華やかな桃山風の意匠です。沢瀉(おもだか)の丸紋彫物(まるもんほりもの)は大関氏の定紋(じょうもん)で、造形的にも秀逸です。内部には鮮やかな色彩の装飾絵画も残っています。
 桁や垂木(たるき)の形状や装飾の造形に中世の技法を残しますが、全体は近世の形式と技法であって、虹梁を組み込んだ斗栱(ときょう)や木鼻(きばな)の渦紋は独特な細部です。中世から近世への転換期を代表する華麗な本殿建築といえます。
 楼門は拝殿前方に南面して建ち、東西には塀が連続して入母屋造の長床(ながとこ)があります。本殿と一連で造営されたもので、江戸初期の建築です。
 昭和52年から55年(1977から1980)の3年間の解体修理工事で、それまでに解体された痕跡がないことと、下層一手先巻斗(ひとてさきまきと)の墨書(寛永19年7月11日)、二重頭貫(かしらぬき)の墨書(寛永19年閏9月16日)などにより、天正5年(1577)の造営ではなく、寛永19年(1642)に建立されたことが判明しました。
 上層に屋根を架け、下層に高欄(こうらん)付きの縁を廻したいわゆる楼門形式になります。柱を受ける礎盤(そばん)、頂部に粽(ちまき)をつけた柱、柱と柱の間にも斗栱(組物)を配置した詰組(つめぐみ)の形式など、典型的な禅宗様(ぜんしゅうよう)という建築様式になっています。木鼻の渦文は本殿とよく似ています。
 斗栱は上層・下層とも通肘木(とおしひじき)としたところに特色があり、特に上層の尾垂木(おだるき)付の四手先斗栱(よてさきときょう)は格式の高い形式です。尾垂木は強度を考慮して一本の木から作り出すなど、当時の工夫が窺えます。また全面に塗装が施されており、上層一面に描かれた墨絵の大雲竜は非常に大胆です。
 ちなみに大雲竜は、下図をもとに、人間国宝樫山南風先生の監修、那波多目煌星(なばためこうせい)、功一画伯親子の揮毫(きごう)により、昭和の修理で復旧されました。
 そのほか、附として、寛永19年(1642)に黒羽藩主大関高増が所願成就のために奉納した、芦野石製の石燈籠2基と手水舟があります。

那須神社 本殿(ほんでん)
那須神社 楼門(ろうもん)
銅棟札(表(どうむなふだ)
石燈籠(いしどうろう)
手水舟(ちょうずぶね)

国指定名勝
おくのほそ道の風景地 八幡宮(那須神社境内)▼詳しく見る

平成26年3月18日指定
所在地 大田原市南金丸1628 那須神社境内
所有者 那須神社

 八幡宮(那須神社境内)が「おくのほそ道の風景地」の一部として国の名勝に指定されることになりました。
 名勝とは、文化財保護法で規定された文化財の種類の一つで、特に趣のある自然景観や名所、芸術的あるいは学術的な価値が高い公園や庭園、橋梁、湧泉、河川などを、その保存・活用を目的として国または地方公共団体が指定するものです。
 その中でも「おくのほそ道の風景地」は、松尾芭蕉の紀行文『おくのほそ道』に登場する名所旧跡で、往時の雰囲気と遺風を今に伝える景観が優れた風景地であるとして一連で評価されました。
 市内において国名勝指定は今回が初となります。県内では「華厳瀑および中宮祠湖(中禅寺湖)湖畔」(昭和6年指定・日光市)、「大谷の奇岩群 御止山・越路岩」(平成18年指定、宇都宮市)が指定されており、今回で3件目となります。
 元禄2年(1689)松尾芭蕉とその弟子の曾良(そら)は、古来の歌枕の地を訪ねて『おくのほそ道』の旅に出ました。途中、黒羽に逗留し「八幡宮(那須神社境内)」を参詣した松尾芭蕉は、屋島の戦いで戦功をあげた那須与一宗隆の武勇を偲び、「与一が屋島の戦で扇の的を射た時『とりわけわが生国の氏神正八幡』と誓ったのもこの神社であると聞くと感動が殊にわきあがってくる」と記しています。
 現在の那須神社境内には、樹齢450年ともいわれる御神木をはじめとする杉並木が立ち並び、本殿と楼門、手水舟、石燈籠は、芭蕉が訪れた際に実際に目にしたもので、当時の姿のまま現存されている点が高く評価され、今回の指定となりました。

大田原市


国指定重要文化財・国指定名勝
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